月が替わる節目、空の高さや風の匂い、陽射しの色に、季節が動く気配を感じている自分に驚くことがあります。


 
 若いときは、クリスマスやハロウィンのディスプレイにワクワクして、子どもと一緒に飾り付けをしたり、イルミネーションの点灯を楽しみに待っていたりしたものですが、自然の移ろいに気持ちを動かされることなど、ほとんどなかったのではないかと思うのです。季節は、いつの間にか変わるもの。それ以上でも以下でもなく、ただそれだけ。

 春には春の、秋には秋の風が吹き、花が咲く。咲いた花は散り、季節の野菜や果物が実り、季節は淡々とめぐっていく。そんなことは、当たり前すぎて気にも留めていませんでした。

 いつからでしょう。店先に並ぶ華やかな花ばかりに目が留まるのではなく、道すがら目にする庭に咲く花をみて、「秋が来るのだな」「もうこんな季節なのね」などと思うことが増えました。そういえば、祖母や母がそんな会話を繰り返ししていたという記憶もあります。

 あのときの母は、いくつだったのだろう。今の私は、あのときの母を追い越しているはずです。
細かい文字が読みづらくなった、物覚えが悪くなった、身体も硬くなっているな。我ながら、若いときとは違ってきたと実感することばかりで、がっかりしてしまうのだけれど、いや待てよ。

 若いときには気づかなかった季節の移ろいを、肌で感じとれるようになったこと、見ていたはずなのに見逃してきた美しさや清々しさに目が届き、今日を大切にしようと思えるようになったことは、年齢を重ねてきたからこそのチカラなのじゃないか。祖母や母が、静かに深く楽しんでいたことに、あのときの私は気づけなかったのだろうと思います。

 きっとこの先、イルミネーションの点灯式には出かけないし、混雑しているだろう街中には、想像するだけで草臥れてしまいそうで行かないでしょう。そういう楽しみも知っているのだけど、それはもういいわと思うのです。

 今の関心は、雨の匂いにホッとしたり、夜空を見上げてお月様の満ち欠けを楽しんだり、そんな身近な季節の変化を楽しむようなこと。これは、これから、もっともっとできるようになっていくのではないか、そんな気がしています。